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国産材コラム

いい家ってなんやろ

朴訥の論

自他ともに認める片付けベタにとって、意識しなくても自然に片付く暮らしが出来れば、これ程喜ばしいことは無い。住まいは生活して初めてその良さも悪さも分かるものだ。関わった住まいもご入居されたOB宅にお伺いし、気づかされることが多い。

 

 

人は遅かれ早かれ歳をとる。高齢期を迎えたお施主さんが打ち明けた。もう少し広い方が良かったと悔やまれた通路は、70歳を超えた今では両手を伸ばせば届く距離で、よろけても転ぶことがない。どこもかしこも広い方が良いと思いがちだが案外広くて使いにくいこともある。

 

ご入居3年目の方からは、部屋が狭く感じるからと設置しなかったトイレ前の目隠しは、娘が成長した今は必要不可欠だ。見通しの良い玄関は、宅配員が来ても部屋の奥まで見渡せて不都合なことが多い、明るくて大きな窓は寝室には無用の長物となる。何やら結婚に似ている。

 

無口でおとなしいは、生活をともにすれば味気なくもあり、良く気がつく人はうるさくてお節介かもしれない。物事には全て表と裏がある。それを適切に判断するには、やはりプロの経験値に頼らざるを得ない。

 

住いは長く住み継ぐ物だとすれば、当然のことながら10年や15年を見据え可変性のある提案をしたいものだ。お施主さんの言う通りにすればよいものでも、設計者の主義主張を通すことが良いわけでもない。先ず相手の考えや意見を十分聞き取り、それぞれが推す理由を相手の腑に落ちるまで話し、納得してもらうしかない。

 

またこれぞ我が家という暮らしやすい住まいも、快適空間を物で溢れさせては何の為の家か解らない。空間デザインが素晴らしいと感じる住まいは得てして物が少なくまとめられている。いかに物を増やさず、コンパクトに生活をまとめるかにかかってきそうだ。

 

「最も強いものが生き残るのでなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。最後に残るのは変化できるものである。」はダーウィンならではの言葉だ。

 

永く住む家もまた然り、変化に耐える構造を有し、それを容易にするには必要以上の物を持たず固守せず、その時々を大切に、どんな状況下であろうと、同化できる柔らかい頭と勇気を持つことではないだろうか。つまるところいい家は心の内にあり。

 

(「木族」2016年4月号より)

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